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2012.03/09 [Fri]
帰ってきました
今、広島に帰ってきました。
兄の親しかった人たちが多数集まってくれて、
素晴らしい通夜、葬儀が出来たと思っています。
昨日の葬儀の後、両親の家に戻り、
父と一緒に弔い酒を飲もうと思ったのですが、
さすがに疲れが貯まっていたらしく、
早々に父と母は寝室で休んでしまいました。
兄の遺影に話しかけながらチビチビと飲みましたよ。

この遺影は焼き増ししてもらったので、
私の家に飾ろうと思っています。
これで兄とはいつでも一緒。
私と家族みんなを見守っていてくれると思います。
新しい兄弟関係の始まりです。
兄は富士通でシステムエンジニアとして活躍していました。
あの世界一のスーパーコンピュータ「京」の開発チームの一員でもありました。
車にカメラ、パソコンに自転車・・・
仕事にかける情熱と同じくらい、趣味にも全力で取り組む男でした。
家族と友達を心から愛し、
通夜では親族以上に号泣している友人も数名いました。
息子が大学受験、娘が高校受験と
大事な時期に闘病生活を送ることになり
子供達に癌であることを悟られまいと、
義姉と両親以外には受験が終わるまで隠し通すつもりでしたが、
父が主治医から「回復の可能性は限りなく低い」と説明を受けた翌日の1月12日、
私は初めて兄の状況を、兄には内緒で母親から電話で知らされました。
その時のショックと言ったら
今までの人生の中で一番大きかったと思います。
すぐにでも兄に逢いに行きたいと思ったのですが、
兄の意思を尊重し、行きたい気持を我慢しました。
そして事実上の「余命宣告」を受けた2月17日、
義姉が私が逢いに来ても良いと言ってくれて
兄には「出張のついでに立ち寄った」ということにして逢いにいきました。
逢ったらこんなこともあんなことも話したいと色々考えていたのですが、
ベッドの上に横たわる兄と目が合った瞬間、
もうなにも話さなくても気持が通っていることをお互いが理解しました。
満足に食べられない状態の中、
唯一食べられる「ガリガリ君」を買ってくるように義姉に言った後、
「こいつ(私)にもな」と言ってくれた兄。
実に何十年ぶりに一緒に食べるアイスでした。
あの時の味は一生涯忘れることはないでしょう。
小学校の頃一緒に描いた漫画を見せると、
嬉しそうに読んでいました。
わずか1時間程度でしたが、貴重なひとときになりました。
自分が大変な病に冒されていながらも兄は常に前向きで、
泣き言ひとつも言いませんでした。
余命宣告を受けたときには取り乱すどころか
にっこりと笑って主治医の説明を聞いていたそうです。
最期は話すことも出来なくなり筆談でしたが、
「オレは生きる」と書き、最期まで生きることを諦めませんでした。
最期の最期まで私の自慢の兄でいてくれました。
子供達には第一志望の都立高校、国立大学の試験日前に
兄の状況を話さざる終えなくなりましたが、
ふたりとも大変な精神状態で試験に臨んだにもかかわらず、
見事、第一志望に合格しました。
息子の合格発表は間に合いませんでしたが、
娘の合格発表は間に合いました。
兄は最後の力を振り絞って何度もバンザイを繰り返したそうです。
兄の生き様を見て、きっと立派に成長することと思います。
残された家族が力強く元気に生きていくことがなによりの供養。
胸を張って堂々と歩んで行こうと思います。


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NoTitle
文面から伝わってきました。
そんなお兄様だからきっと今ごろ虹の向こうでも人気者になっていることでしょう。
人は自分の死ぬ時期を決められません。
後悔しないように家族に今まで言えなかった
感謝の思いを伝えてみようと思いました。